基礎理論

当派基礎理論について 総論

当派基礎理論は二つの要素に区分されており、それは形而上学理論と人智学(識心学)理論となり、この両部理論を統合し現実社会にて活かす事を可能として考案されたモノが当派神法道術(法術/識心術/仙術)となるのです。

理論構成については形而上学的理論を法理、そして技術的理論を術法論として表しています。

それでは当派理論を観て行きましょう(講話文より一部抜粋)

各論

第一法理 宇宙創成と権体/識の存在

世界は波動と呼ばれる力の流動にて成っている。

その力の渦が体験の記憶と混ざり合う事で識が生成される(体験の記憶自体も波動の一形態となる)

 

第二法理 認識

総ての事象は認識する事により記憶と成る。

認識されなかった事象を識は記憶しないため事象は存在しない事となる。

 

第三法理 思考と事の捉え方(考え方/性格)

思考は「蓄えた体験の記憶から事象により如何なる記憶同士を結びつけ認識するか」と言う作用であり、これは選択の手段となり命運律に直接反映される要素となる。

この選択を行う重要要素が「事の捉え方/思考方/性格(人格)」となる。

 

第四法理 情(因果律を顕現するモノ)

ヒトはエネルギーの塊であり、そのエネルギーを状況により分配する必要がある。その分配する作用を司っているモノが情となる。

簡単に表すならば識の想いを肉体に伝え作動させる力となる。

 

第五法理 想像(創造)

ヒトが思考するためには体験の記憶群が必須要素となるが、この思考要素は幽玄絵画(イメージ)が深く関与しており、仮に「文字や言葉のみで思考する場合には脳の一次記憶回路のみが作用しているため深い考察や観察能力が失われ事象を表面的要素でしか観る事ができず稚拙な思考で命運を紡ぐ事となる」のです。しかも「事が過ぎるとすぐに忘れてしまう」事となるのです。

しかし「ヒトは進化の過程において幽玄絵画能力を獲得する事により、文字や言葉に幽玄絵画を組み合わせる事によって深い思考(思慮/理性)や洞察能力(演繹/帰納を駆使する力)を体得する事で、より良き命運律を歩む事が可能と成った」のです。

仮に幽玄絵画能力が脆弱な場合には命運の道が危険な道へと繋がる事もあるのです。

 

第六法理 識世界と物質世界

「識」とは今で言う「心」の事となり、ヒトの本体(本質)は識となるのです。

しかし識だけでは重要要素となる体験を得る事は不可能となるのです。識は幽世体験記憶の別称であり、体験の記憶群で構成されている要素が幽世となるのです。この記憶群である「幽世には思考も意志も感情も存在せずにただ体験の記憶群である幽玄絵画(イメージ)を構築している幽子由来の波動データが存在している」のみであるのであり、幽世と常世の総称を幽玄界と呼んでいるのですが記憶群である幽玄界のみでは何も生じる事はないため権体の存在意義があるのです(そもそも権体が作用しなければ体験記憶の界である幽玄界も生まれない)

 

権体(肉体)は体験とそれに基づく変化(心の進化)をもたらすために存在しており、権体を介して得た体験記憶を幽玄界へと蓄積する事により変化(進化)の度を進める役となるのです。

併せて権体は生命管制機能を司る脳の作用により「自我/意志/思考/感覚/情」等の生命行動作用を生み出し体験とその記憶を保持する事が可能となるのです。

更に脳の作用と幽玄界の作用が交じり合う(合力)事により生じる要素が識()と成るのです。

 

第七法理 因果律

因果律を今風に表すならば「時の流れ/振動/変化をもたらす流れ」の事となり、いわゆるエネルギーの動きの事となるのです。

この事を別の観点から観ると「総ての事象には原因があり、その中から様々な選択肢が生まれ、そのどれを選択するかによって結果が生じ命運律に反映される事となる」この流れをヒトは無限に繰り返し人生という道を歩む事となります。

 

ここで重要となる要素が「原因と選択」となるのですが、この要素を決定づけているモノが「事の捉え方(思考方=性格)となる」のです。

現代の風潮では高学歴が優秀と考えられているようですが、それは違います。

学問とは特定の知識を蓄積しているだけで、それを体得するためには社会において活用する事で内省/反省を繰り返し蓄積している知識を命運律向上(道明)として役立つモノへと昇華させられる者を優秀と考えられていました。

学問はそのための基礎過程にすぎないのです。

命運を決定づける要素は「考え方/事の捉え方」いわゆる性格が主体であり、それに基づき学問も社会で学ぶ知識も命運として道を生み出していくのです。

 

第八法理 陰象と顕象

()の世界には「留めるモノ」と「顕すモノ」と言われる二つの世界が混在しており、前者を陰象と呼び後者を顕象と言っているのです。

留めるモノとは「想ってはいるが権体を使用して遷し世(現実世界/物質世界)に顕していない思考」の事であり、想ってはいるが行動に移していない世界を表しています。この世界は複数の思考により構築されており、その「複数存在する考えのいずれを選択するのか」によって行動は決まるのですが、この「選択枝を決定する要素が事の捉え方(思考方)である性格」となるのです。

顕象は選択により選ばれた想いとなり、これにより命運律は決する事となるのです。

要は「陰象が基となり、性格による選択により顕れたモノが顕象となり命運を刻む事となる」と言う事なのです。

この人生にとって最重要要素をヒトは性格により無意識に辿る事となるため多くのヒト達は人生を綱渡り的に渡っていると考えています(この不安から情緒論へと救いを求める事となる)

「己を救えるモノは己の識のみである」この事を古くは「槍の林に入る時は小盾は己の心とぞ知れ」と教義されていました。

 

第九法理 外象気と内象気

総ての世界は気と呼ばれるエネルギーにより構築されており例外はありません。

気とは今で言う波動力の事を表しており、この波動力をヒトに適応させ表すと「世界を構築する力を外象気」と呼び「権体(肉体)を構築している力を内象気」と呼んでいます。

これら象気は内外の調和によって成っており、それが乱されると権体に不具合として顕れる事となるのです。その主立ったモノとして頭痛/心臓機能/腎臓等五臓五腑へと影響される事となり識の乱れにも関与する事となるのです。

この象気の調和を可能な限り正常化させるための技術の一つが術法となります(吐納術/各種術法)



第一術法論 識を構築するモノ。

ヒトの本質は識()となるのですが、それを通常の感覚では認識する事が難しくなるのです。

それは「要の処である脳と、その派生要素である五感の作用により現実という要素を創り出している」事により識は単なる概念として受け取られているからなのです。

何故にそのように考えられているのかと言えば「現実を生み出している脳と派生要素は長きに渡る変化(進化)の過程において確立しているため、現実以外の世界を求め認識する能力が失われてしまった」のです(現実世界は脳と五感の作用により創造された世界となる=通常においてヒトはこの確立した世界から逃れる事が出来ない)

 

更に要の処となる脳(記憶)は五感を通して現実世界を創造しており、その事により「見て聞いて触れて嗅ぎ味わう」事により現実と非現実を認識している事となるのです(非現実なモノを脳は存在しないモノとして認識するように進化の過程により習性化されている)

この事により識と言う存在を認識できないのです(他の次元世界を認識する事が不可能となる)

 

識を脳に認識させるためには脳のシステムと同様の作用を識に起こさせれば良いのです。

まずは識()に形を持たせる事から始まり、それに触れ現実と同様の感覚を生み出すのです(幽子由来の霊的五感)。それにより脳は描いた想像物を現実と認識し体験の記憶として幽玄界へ保存する事が可能となるのです。

この事により識は識を知らない(己は己を知らない)と言う事が改善され内省や反省が可能となり己に変化をもたらす第一歩となるのです(命運律の向上に繋がる)

通常のヒトはこれができないのです(便宜上内省や反省という用語は使用するが実質的にはそれは難しいため無意識的に同じ過ちを永遠に繰り返す事となる)

そのため命運を流れに任せる事(命運の綱渡りを状態化とする)となるのです。

 

第二術法論 幽世

幽世は別の呼び名として想像界とも呼ばれるモノで、この界の存在が「幽玄絵画(イメージ/想像)を起こし文字や言葉に深みを与え、洞察や観察と呼ばれる要素に変換する事ができる」のです。

仮に幽世と呼ばれる想像の力が脆弱であると、思考は文字や言葉が持つ意味を表面上しか理解出来ずに命運を虚しいモノに導く事となるのです。この事により術法の基礎は幽玄絵画能力を復活させることから始まり、その訓練が進むに従い幽玄絵画に触れ感じ(感応力)、脳が現実と認識する機能と同等の働が可能となるように修練し幽子回路の習性化を成す事が基礎訓練の目的となるのです(物質の実体化とはこの事を示している)

 

第三術法論 常世

常世は幽世の派生要素であり、その違いは「由来にあり幽世は権体(肉体)由来の要素となり常世は自然界由来の要素」となるのです。

この事について簡単に説明するならば「輪廻転生」に関係する事となります。

ヒトが生を受け物質界で活動する事により幽世と呼ばれる世界が生まれ、更に文字や言語を獲得する事により思考を習得する事となります。その思考(脳由来)に幽世が交じり合う(合力)事で「より深い思考力(洞察と観察能力)を獲得する事が可能となります。

 

この生あるときに機能している幽世の力も転化()の時肉体から記憶データ()として自然界へと戻る事となり、この魂(記憶群)は消滅する事無く幽世の後の場へ残る事となるのです。この場のことを常世と呼んでいるのですが、次からの輪廻には更に常世が生体に絡んでくる事となるのです。

 

第四術法論 要の処()

ヒトの構成要素には「物質由来要素として権体(肉体)」そして「非物質である幽子由来要素となる幽玄界」この両部から成っており、特に重要要素となるモノが権体と幽玄界を繋いでいる要の処と呼ばれ権体に所属する脳となるのです。

脳はいわゆる変換機能を司る器となり、体験の記憶を一時的に蓄える装置とも言えるモノなのです。

脳に蓄積された一次記憶群は幽世を経由して常世へと送られる事となるのですが、このとき波動振動数(周波数)が物質界と幽玄界では異なるため波動調整が必要となるのです。

その調整(気合わせ)を行っているモノが要の処と呼ばれる脳となるのです。仮にこの変換機能に脆弱性が生じると因果の流れを読む事の出来ない存在となるのです(思慮が浅く自我主体でしか事を観る事ができない存在)

更にこの変換機能が何らかの要因により機能しなくなると、ヒトの形を有してはいるが思考も無い人型生命体になる可能性が高くなるのです。

 

第五術法論 しるし(サイン)と事の発(言の葉)

ヒトが考え行動を起こす場合には発動のきっかけがあるのですが、通常においてそれを意識する事はないでしょう。

この行動へ遷す鍵(きっかけ)は状況により言葉や文字他者の行動等様々だと思うのですが、これは無意識下でエネルギー発動循環を起こしている結果となります。

しかし無意識下でエネルギーの発動を起こしていることにより意識してエネルギーの発動を起こすことが難しく必要な時にこの力を得ることができないのです。

その事に気づいた古の賢者達が編み出したモノが「意識的力の発動技術法」となり「シルシ(/サイン)の活用」となるのです。

この法には発動条件が有り「幽玄絵画に感応(イメージに触れ感じ現実と同様の感覚で接する)を交えた玄想法」を基として、それに目的を付与するために言葉を使役(神咒=かじり)し、更にその力を発動するための鍵(しるし/きっかけ)となるモノを組み合わせる事により「何のために如何なる力を何時発動するのか」を「本質となる識に命じる」事となるのです(印による幽子の習性化)

尚シルシには手を使用する手印や躰を使用する刻象印そして物を

使用する象印等が存在しており、当派では手印と刻象印を多用しています。

一般的に行われているような印を組みそして呪文を唱えると力が降り注ぐ(効果を得る)等は脳の文字や言語機能しか作用しておらず、力の基となる識は一切使用されていないため情緒によって考案されたモノとなるのです。またイメージを描いても感応(実体化)を使用していなければ、ただの妄想と成るのです(脳と識の連環が生じないため力の発動は生じない)


第六術法論 識を顕す(識の認識)

識とは今で言う心の事なのですが、現代においても識()は抽象的/概念的要素として捉えられています。

識の構成要素とは「体験の記憶群を必要に応じて結びつけ作用する思考」そして「必要な記憶に幽子(非物質波動力の基)を集中させる意識」「肉体や識に行動力を付与する情」この三種の力の合力によって生み出されている要素を総称として識()と呼んでいるのです。この事を簡単に示すならば「想像力/気導力/感応力」の三種神力で表しているのです。

ヒトの根幹にして本質となる識を現代においても抽象的/概念的に捉えているため識を認識する事ができないでいるのです。

この事を簡単な言葉で表すならば「識は識を知らない(己は己を理解出来ない)」となるのです。

 

その識を理解できない原因になるモノは何なのでしょう。

それは脳の進化(変化)過程に隠されていると当派では考えています。

「脳は五感信号を通して現実を生み出す事で思考/意識/情の三要素を統合して識を生む」事となるのですが、識は幽子の波動力によって成っているため同波動の幽子を使用しなければ識は育たないのです(波動共鳴作用=波動循環増幅(フィードバック現象))

この識を育てる(活性/増幅)には意識的に幽玄絵画(イメージ)を普段から使用する事により幽子の力は強化されるのです。それまでは文字や言葉だけで理解しようとすると表面的な事しか理解出来ないのですが、幽玄絵画を言葉や文字に加味することで洞察力/観察力が強く作用する事となり命運の向上(識の増大)に繋がる事となるのです。

この力を体得する身業が五行と神仙招魂となるのです。

これら身業は己の識()を映像として確立させる技術となり、その事が識を意識的に作用させる事が可能となるのです。

脳は五感にて感じるモノしか認識できない事による。

 

第七術法論 荒身霊/和身魂/奇身魂/幸身魂

ヒトは進化(変化)の過程において最初は生命維持に特化した能力を体得する事となるのです。それは「食べる/寝る/楽しむ/繁殖する」等生きるために必要不可欠となる能力の獲得であり、この過程における手段として「守る/攻撃する」を体得する事となります。この状態をその昔には「アラミタマが宿る途奇とき」としていたのです。

 

それと併行して己の周囲に存在する働きも認知する能力が発達する事となり、それを手本として識()は育つ事となるのです。それがやがて「事の捉え方(考え方/性格)の種となる」のです。この状態を「ニギミタマが働く途奇」としていました。

 

脳が体験の知識を多く蓄える事で識も発達する事となるのですが、この「脳と識の連環を担っているモノがクシミタマ」であり、この状態を「クシミタマの働く途奇」としていたのです。

 

ここまでの作用となる荒身霊/和身魂/奇身魂の生成化育は基本的に誕生から十歳前後で成される事が通常となります。

 

ここまでの働きにより社会にて様々な体験の記憶を蓄積する過程において常世と呼ばれる恒久記憶の門が開き、そこへ脳と幽世に蓄積されている記憶群を常世へと放射する能力が開花する事となるのです。

これは識と常世を繋ぐ回路が創られたことを意味しており、その事から識と常世間の送受信が始まるのです。

この「送受信を行う能力をサキミタマの開く途奇」と言い示すのです。

このサキミタマ能力が開花するのは十歳から十五歳前後と言われています。

これら「四種の能力をその昔には我魂がこん四神ししんによって成る」と言われていました。

四神とは「ヒトの宿す力」を表していたのです(神は神来理身の略称であり神来理身はヒトの能力を示している)

 

第八術法論 幽体/霊体/想念体(精神体)/神体

ヒトには外界と内界を隔てている結界が張られています(自然結界)。これらの結界が存在しなければ存在自体消滅してしまうのです。

その事について簡単ですが示しておきましょう。

ヒトには四種の結界的存在があり、役割も異なったモノとなるのです。

「幽体は外部から押し寄せる物理的波動を己の物理的波動とは異なったモノとして跳ね返す働きがあり、これにより生体組織を活動可能とする要素」となります。

それと共に「霊体を守る要素でもある」のです。

 

「霊体は四神へ内外情報を送受信する働きを持ち、感受性と呼ばれる内外の情報を解析する役を果たす」事となるのです。

例えば任意の物に意識しようとするならば「霊体はその物に伸びて囲むような形態を取るのです。しかし霊体は外部波動に触れると霧散してしまうため幽体が霊体の動きに併せて霊体を内包して一緒に動く事となる」のです。その働きにより形を持たないモノとして幽体と名が付けられる事となるのです。

この幽体と霊体は肉体波動由来となります。

 

想念体は「想いを形として描写認識するエネルギー要素」の事を表しており、このエネルギーを幽子と呼んでいます。

幽子の情報を要の処である脳が解析し体験の記憶から該当するモノへと当てはめ形状等へ変換する事により脳の認識作用を司る事となるのです。

この映像情報を内包した幽子群を想念体(幽玄絵画祖要要素)と呼んでいるのです。

それに留まらず脳の思考要素と連環する事により深い考察力(観察と洞察の力)を導く力ともなるのです。

 

体験の記憶群がエネルギーの放出により幽世と常世(幽玄界)を構築する事となるのですが、その脳と幽玄界の橋渡しをする要素を神体と呼んでいます。

この神体の力に脆弱性があると幽玄界が育たずに危うい道が顕れ、その道を歩む結果、人生(命運律)を闇へと導くモノとなる恐れが高くなるのです。

 

第九術法論 想念と雑想念

ヒトは常に想いのエネルギーを蓄積し放出も行っています。

その要因となる要素が思考や情のエネルギーとなり、そのエネルギの流れが権体(肉体)と識()に滞る事により「過度の不安や恐れ」となり権体と識に影響として現れる事となるのです(命運に反映される)

更に各処に気詰まりが起こり病の原因にもなるのです。

ヒトの生命と命運に多大な影響を及ぼす思考と情のエネルギーなのですが、ヒトにとっては無くてはならない要素ともなるのです。

肝心なのは「思考と情の力を如何に制御するか」と言う事となり、古代から現代そして未来においての鍵となるモノとなるため根幹課題として当派にて取り扱われ研究の対象となってきたのです。

その結果として生み出された技法が「鬼烈気と白蓮」そして「因果律の教え」となるのです。

 

この思考と情を基として発現するエネルギーを想念と呼んでいるのですが、このヒトに流れる力は膨大なエネルギーの流れであるため一部が余剰の放射エネルギーとなって外部へと放たれる事となるのです。

この主幹となる想いから漏れ出た余剰力を雑想念と呼んでいるのです。

この想念と派生力である雑想念は物質に付着する性質があり、その波動と類似波動を持つモノに付着した場合、人体上部と下部に存在する二柱から侵入し権体と識の流れを妨げる事となり思考と情に影響を与える事となるのです。この現象を「物の気現象」と呼びヒトは無意識下においてこの想念波を受け続けているのです。


第十術法論 力の集約と放出

ヒトは物理的/識的エネルギーの塊(亜子華火/玄妙神気(玄気))であり、その力は循環することで力となるのです。

この力を無意識的にヒトは利用しているのですが、取り巻く環境により力は乱され循環に滞り(ストレス)が生じてしまうのです。

そうなると力は脆弱となり本来の力を駆使することは難しいモノとなり、完全に気の流れが止まると力は消滅してしまい転化()を迎える事となるのです。

ヒトは気の流れが順調であれば自身が想像していない力を万人が所有しているのですが、無意識下にての循環に依存しているため事において発動する事が不可能となるのです。

 

この事により無意識下で作用している力を意識的に行う事が可能と成れば「攻撃/防御/調和/叡智/慈愛/自由」と古来より言われている六合を体得する事により識()を自身で制御/管制する事が可能となり命運律を向上させ生きている喜びを言葉上の概念では無く体感(識感)する事ができるのです。

この体感を得るには「想像の力/気導の力/感応の力」となる三大能力が必須となるのです。

その能力により力の集約(活用)と放出がより良きモノとなり循環力が正常化する事となるのです。

正常化することにより物理的/幽玄的気詰まりを癒す事が可能となるのです。



結び

法術はこのような研究結果からヒトが実際に使役可能となるため(変化する身業)長期に渡る体験による実証実験を繰り返し生まれた道となるのです。

しかも「法と術は元々ヒトに備わっている能力を活性あるいは増幅しているため体得は非常に容易」なモノとなるのです。

しかし「その時々の社会における環境により育まれた事の捉え方が要因となり現代社会において体得は非常に困難となる場合がある」のです。

 

困難とする要因を挙げてみましょう。

「道理を重視せずに結果のみを求める」風潮にある。

その結実として「早期に役立てる事を望む」その事により先を見すぎて技術が身につかない。

「法と術を地位/名声/財の獲得のため利用しようとする」そうなると当派の知識を都合の悪い箇所を改ざんして本来の教えを無かった事とする識が習性化してしまい悪徳に利用されるのです。その対価として命運律を下降させる事となるのです。

 

この二つの要因が基となり、容易に体得可能となる法と術を求める能力が失われるのです(絡み合い結果が曖昧なモノと成る)

これらは現代社会の風潮に流された結果だと考えられるのです。

 

術の修練は二種の基礎業(能力再生)で成り立っており、その修練とは「宝珠五行」と「五神仙招魂」となり、この二種の技術は法術の総ての術を含んでいるため要の身業(基の身業)と呼ばれているモノとなります。

二つの身業により法術は成っており、これを疎かにすると先は無いのです。

それは鬼烈気系(識退魔系/童気/童鬼)や白蓮系(癒し系)の身業も総て要の身業により構築されているからなのです。

その事により当門教義体系は約三年の関門業を経て、その後当門書籍と門下生による直接指導を実施しているのです(門下生が育ってきた事で本部以外でも指導可能となった=他者に対しての指導教義にもなるため)

 

これら法理と術法論を更に研究解析し実用可能な技術としたモノが「古名オニノスベ」であり「神法(天の身業)」と「道術(地の身業)」となり統合して「神法道術」と呼んでいるのです(今で言う「自己啓発/自己能力開発」の分類に入る)

 


法術の世界観

己を変える事により思考方も変わり

思考方が変わることにより

周りの環境に対する捉え方が異なる


その事により

目に見える世界から

見えない世界まで

その心に共鳴し

世界も異なって感じるようになる


さらに己が変化することで

周りの環境にも

さらなる変化を与える


この連綿とした流れの中で

心はこれまで体験したことのない

新たなる世界を観ることになる


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