参考までに昔の修行法について話しをしましょう(以下のこと以外に法を説く事も重要な役となる)。
師が新しい術を教示する場合、型をやってみせます。
その後やらせてみて大体良ければ瞑想(主霊)にてその型を行うように指示されます。それが概ね出来ると弟子から申告されると、気のイメージ(術によって異なる)を砂絵等で教示され、そのイメージを行う事になります。
そのイメージが出来ると申告されたならば神咒と印を教示される事となり、そのイメージに追加するように指示され行う事になるのです。
この後は自己の演練(続けて何度も行う)となるのです。
以上が指導要領となるのですが、新たなる術の教示までは師はただ観ているだけとなります(師は大抵の場合は弟子に指示した課題の演練をさせている間己の修業を行っている)。
術を教え弟子の演練中は新たなる術を教示するまで師の役割は見た目には何もありません。
師は他者がみると何もやっていないように感じるのですが、実は重要な事を演練中に行っているのです。
それは二つの事であり、一つは演練中に周りから近寄ってくる雑想念を遮断し、弟子達の力に妨害が入らないように術を行う。
二つには時間管理となります。
人はもうこのくらいで良いだろうと少し辛くなると演練を止めようと心は動きます。それでは上達に影響が出てしまうのです。
人は十回行えと指示されそれまでは頑張るのですが、真の上達は辛いもうダメだこれ以上の回数は出来ないと感じた後の一回を行う事により気力が徐々に増幅される事になるのです。
師はそのために時間(演練の時間・期間)を管理して上達を速めているのです。
ただし、真の上達は本人次第となることは言うまでもないでしょう。
師の役をまとめると「道理・摂理(宇宙の摂理)の教授・術の教示・修業中に弟子達に迫り来る邪気等の排除・時間/期間の管理」の四つとなります。
私はこの事に基づき指導しているのです。
ちなみに道理や摂理と呼ばれる法を教示できなければ師ではなく先生となります。
つまり「自然界の摂理を説く事が難しく術だけ教えているのは先生となる」と言う事です(法術界での仕分けによる)。
さて以上が古来から世界で行われている法術の修行法なのですが、これらは時代の進歩と共に徐々にですが変化を遂げる事となります。
特に顕著であるのが法術の根幹となる瞑想の手段となるでしょう。
砂絵から絵画(掛け軸・携帯用の絵=現代で言うタローカード等)となり像(彫像・仏像)へと移り変わり行者も瞑想を行いやすくなっていきました。
現代では「人智学法術と共に進化してきた分野法術(科学技術)のお陰で望めば誰にでも法術を学べる環境が整ってきた」と言えるでしょう。
その事を師の役である4項目と修業方に当てはめて話すと次のようになります。
- ★摂理の教示「現代用語の進歩とパソコン及び周辺機器により、テキスト化する事が可能となった。
- ★術の教示「映像機器と周辺機器(パソコン含む)により師の動きを観る事が出来る」また「根幹の瞑想も同様に映像化する」事が可能となった。
以上の事により師の役を代行するシステムが構築された事になるのです。
あとは「時間管理」となりますがこれは本人次第となります(この事は師が側にいても行っている振りが出来るため今も昔も同じ)。
どうでしょう。現代では師が直接話さなくてもテキストを読むことで同様の働きをしています(かえって師が話すよりもテキストの方が分かりやすい場合が多い)。質問があれば電話やメールで訪ねることもできます。
型や瞑想も映像機器を利用すれば昔よりもはるかに理解しやすいと思います。しかも昔の方法では師は一度言ったことやって見せたことは二度行うことは基本的にありません。そのため相当の理解力とやる気がなければ法術は難しくて万人向けとは言えなかったのです。
しかし、現代ではテキストや映像により何度でも行う事が出来るようになりました。
ただし今も昔も変わらないのは「すべては己次第」ということです。
この事は総ての事に共通となります。そう、柔道や空手・体操のような肉体重視のモノもそして学業等の学び等の精神的なモノも最終的にはすべて己次第となるわけです。
このように現代では精神的な要素のモノこそ通信講座に向いていると言う事が言えると思います。
しかも当会は「多くの精神的要素のように師の存在しない通信講座ではありません」皆さんが行っている講座は「師(古代からの直伝=師から師へと連綿と続いている)が直接伝えている講座」ということを心得臨んでください。